【6月2日 AFP】世界の一流ブランドのファッションショーで、著名な編集者と並びフロントローに座るフィリピン出身のファッションブロガー、ブライアン・ボーイ (Bryan Boy)。母親のファッション誌をチェックする一般読者だった彼は、驚異的なスピードでファッション界の重要人物へと上り詰めた。その姿は、ハイファッションの世界を取り巻く排外的な障壁を、インターネット社会が破壊する様を象徴しているようだ。

■10代でブログを開設

 モデルのように細い体に、カラフルなハット、ファー付きのカーディガンにバックといった独自のスタイルを貫く「ブライアン・ボーイ」ことブライアン・グレイ・ヤンバオ(Bryan Grey-Yambao)。ブログ「www.bryanboy.com」を運営する彼は、スーパーモデルのナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)やデザイナーのマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)らと友好関係を築くほどファッション界で高い影響力を持っている。

 ブライアンは、フィリピン・マニラにある厳格なカトリックの学校に通っていた10歳の頃から「母親が購読する雑誌を拝借しては、学校で読んでいた」ほどファッション好きな少年だった。彼の人生を大きく変えるきっかけとなったブログをスタートしたのは04年頃。はじめは海外旅行について綴るブログだったが、その内容は次第にファッションが中心になっていった。

■ブライアンにインスパイアされた鞄も

 ウィットに富んだコメントとともに最新のファッションを紹介するブライアンのブログは、07年頃から本格的に注目されるようになった。きっかけは、トップデザイナーのマーク・ジェイコブスが彼のブログに着目したことだった。マークは08年秋冬コレクションで、ブライアンからインスパイアされたバッグ「BB(=ブライアン・ボーイ)」を発表。ブライアンのブログには、マークから寄せられた「君のファッションに対する情熱を愛しているよ。君のような熱意が無ければ、デザイナーたちは一体どうなってしまうんだろう?」というコメントが掲載されている。

 さらに09年には「D&G」がブライアンをはじめとしたトップブロガーをミラノ・コレクションのフロントローに招待。彼らは、米「ヴォーグ(VOGUE)」のアナ・ウィンター(Anna Wintour)編集長やファッション・ ジャーナリストのスージー・メンケス(Suzy Menkes)といったファッション業界の重鎮と並んでショーを鑑賞した。

■ショーへの招待が殺到

 現在ブライアンのブログの来訪者は1日20万人、ツイッターのフォロワーは9万5000人以上。ブログ上のいたるところには、他のファッション サイトが羨むほどの広告が掲載されている。そこから、ファッション界での彼の突出した影響力を垣間見ることができる。

 11/12年秋冬シーズンも、名だたる高級ブランドからショーへの招待状が殺到。「エル(ELLE)」や「ヴォーグ」といった一流のファッション誌でも、ブライアンの話題がとりあげられた。

 昨年末にニューヨークで開かれたファッション・ブロガー会議に出席したブライアンは「もう全ての夢は叶っている。これ以上なにを望むっていうんだい?」「これは実際に起きたこと。フィリピンの田舎で暮らす誰でもなかった僕にね」とスピーチした。

■ブロガーが業界を民主化

 ジャーナリストのメンケスは、「ブロガーの存在は、全てがファッションブランドからのトップダウンに基づいていた業界を民主化しました」と分析する。「ツイッター上では、ショー会場を出るなり『最悪!気に入らない』といったコメントを発信することが可能です」とオンライン・インタビューで語る。

「その意見はネット上で急速に広まり、他人がさらに返事をすることもできる。急に300万もの人がネガティブな発言をする、という状況に直面する ことになったのです。ブランドマネージャーにとってはなかなか恐ろしい状況と言えます」

■アジアの希望の星

 世界で「最も排外的」ともいえるファッション業界で成功したブライアンの存在は、アジア全体への刺激にもなった。ブライアンの友人のひとりでフィリピン出身のファッション・リポーターIngrid Go-Chuaは、「アジアの多くの人々が彼を尊敬しています。彼は希望の星です」と賞賛する。

「第三世界では、夢は必ず叶うとは思えないもの。しかし、ブライアンはそれを叶えることに成功しました。彼はフィリピンを有名にしたのです」と語った。(c)AFP/Cecil Morella

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