【9月18日 MODE PRESS】ショーは、ファッションの世界で最も華やかな場面。舞台を企画し、進行させるファッションディレクターはその主役だが、わがままな支配者ではない。多様な美しさへの感性と、人への繊細な配慮や優しさを兼ね備えていなければならない。草分けの一人、木村さんが、身をもってそれを示している。

■始まりは学生時代のアルバイト

 ファッションへのかかわりは、大学1年の春休みのアルバイトが始まりだった。「女性自身」誌のモードページの手伝いで、服をデパートから運んだり、撮影に立ち合ったりするうちに、「この仕事が面白くなった」。その経験を買われて、卒業後は「タカノ」に無試験で入社。スタイリストの仕事が主だったが、オリジナルブランドのショーも任された。その頃に鳥居ユキさんを紹介され、「二人であれこれ工夫してデビューショーをやったんです」

 タカノのショーは店の客寄せが目的だった。「ショーは服そのものを売るためだと考えていたので、タカノとは衝突しちゃって……」。それで、フリーに。「ニコル」が青山通りに小さなブティックを出したころで、そのうちプレタポルテのブランドが次々と活躍し始めた。ショーの仕事は増えたが、「アタシの師匠になる人はだれもいなかった」

■自分の中にブレないポリシー

 ディレクターの要件は、「ファッションについて自分の中にブレないポリシーをもっていること」だが、「デザイナーの得手不得手をつかんで歩み寄ること、時代の背景にアジャストさせる努力が欠かせない」。「人と人が出会って、その付き合いの中で何かが分かり、何かを作っていくこと。それがアタシの仕事」

■サンデザイン大出氏との出会い

 サンデザイン研究所の大出一博さんとの出会い。彼のプロデューサーとしての才能と木村さんのディレクターとしての才能が最強の結束を生み出し、日本のファッション界を引っ張ってきた。東コレだけで1シーズンに一人で30本のショーを手がけることもあった。だがどんなに忙しくても、いつも微笑みを漂わせ、配慮や決断を瞬時にこなしていくのが木村さんの本当の「特技」といってよいだろう。

 「この仕事が好きだから、ずっと楽しかった。特に、若い才能を発見して後押しができたこと。デザイナーと一緒に人の輪を広げて、それをまとめていくんだから、わがままなんて言ってる暇がないでしょ」(c)MODE PRESS