【6月18日 AFP】(一部更新)イタリア人デザイナーのジャンフランコ・フェレ(Gianfranco Ferre)が17日、脳内出血のためミラノ市内の病院で亡くなった。建築家としての経験をファッションの分野で生かして活躍したフェレ氏は62歳だった。

15日に不調を訴えたフェレ氏は、サン・ラファエレ(San Raffaele)病院で集中治療を受けていたが、容態が急激に悪化した。イタリアANSA通信によると、フェレは過去に2回脳卒中に襲われたことがあるが、医師の指示に従うことなくそれを乗り越えてきた。また、恰幅の良い同氏は糖尿病を煩っていたが、糖分を控えることもなかったという。

■「彫刻的な美の力」を持つ服

 フェレ氏は1944年8月、イタリア北部のルガーノで生まれた。ミラノの大学で建築学を学び、69年には建築家となるが、わずか数年後にはファッションの道へ進路を変更。しかし、米の名建築家にちなんで「イタリアファッション界のフランク・ロイド・ライト」の名で親しまれるなど建築とは常に深い位置にいた。

 「女性や男性を飾り付けるには、ライン、ボリューム、プロポーションについて考えなければならない。これは、空間を飾り付けるときも全く同じ。建築家からファッションデザイナーになって変わった点は、デザインの対象が動く物体である人間の体になったことだよ」と語っていた。

 英ファッション・ジャーナリストのコリン・マクドーエル(Colin McDowell)氏は、フェレ氏の作品には「彫刻的な美の力がある」と語った。「フェレがデザインするシルエットは強力なメッセージを持つ。彼の作品は論理的に完璧で、まるで工学の方程式のようだった」

■クリスチャン・ディオールのディレクターとしても活躍

 70年初頭に宝石やベルトのデザインを始めたフェレ氏は、74年にバイラ(Baila)でレディースウェアのデザインをするようになった。インドで手工芸のトレーニングを積んだ3年間の経験は、エキゾチックなスタイルと色遣いという大きな視点を彼に与えた。78年は自らのブランドを立ち上げ、その4年後には、初のメンズコレクションを発表した。84年にはデザイナー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、それ以来レディース部門で数々の国際的な賞を受賞してきた。

 自身のブランドで活躍するかたわら、89年から96年の間にはパリでクリスチャン・ディオール(Christian Dior)のクリエイティブ・ディレクターを努めた。独自の手法でムッシュ ディオールの伝統を現代に蘇らせたとして評判も高い。

 グラフィックデザイン、力強いフォルム、大胆な色づかい、複雑な折り目、プリーツ、レイヤリングといった独自の手法を生かしたフェレ氏はすぐに、ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)やジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)とともにイタリアを代表するデザイナーとなった。

 フェレ氏は自身のデザインについてこのように語っていた。「知的で、自由で、そして強い女性のためにデザインをしている。芯が強く、情熱的で、強固な精神を持つ女性。エレガンスとは、非常に誘惑的な性格を持ち合わせているのです」(c)AFP


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