故アラファト議長のシンボル「カフィエ」、中国製の流入で地元業者が苦戦
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【9月1日 AFP】故ヤセル・アラファト(Yasser Arafat)元パレスチナ解放機構(PLO)議長が常に頭に巻いていたことから、独立闘争の象徴として世界的に認知されたスカーフ、「カフィエ(カフィーヤ)」。パレスチナ人男性の伝統衣装であるこのカフィエの製造現場が今、中国製の輸入品に苦戦を強いられている。
アラファト元議長は白と黒の格子模様のカフィエを巻いていたが、反戦活動家らがカフィエを好んで身につけるようになり、やがてヒップホップの世界でおしゃれなアクセサリーとして広まった。有名なヒップホップ・アーティストらが「何となく反体制的で何となくエキゾチックな全天候型のネックウォーマー」として取り入れるに至って、カフィエは「パレスチナの苦悩の歴史」から切り離されつつある。
■高まる海外需要、しぼむ地元産業
カフィエの世界的な需要増加は、パレスチナ自治区に中国製の輸入品の流入を招いた。輸入カフィエとの競争激化に苦心しているヨルダン川西岸(West Bank)のヘブロン(Hebron)のカフィエ生産者、Yasser al-Hirbawiさん(75)の工場は、ほとんどの織機が止まったままだ。
「中国製カフィエが入ってくる前は、毎日20時間15台の織機をフル回転させていた。今じゃ、稼働しているのはたった4台。それも8時間だけさ」
1961年にHirbawiさんがカフィエ工場を始めたころは、カフィエはパレスチナ人の普段着の一部で、政治的な意味合いはまだなかった。
状況が変わり始めたのは、中国が経済大国として台頭し始めた1990年代だ。世界各地と同様に、ヨルダン川西岸にも中国製の大量生産品がなだれ込んできた。そして2000年にイスラエル治安部隊とパレスチナ住民の衝突から第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)が勃発すると、海外でカフィエ需要が一気に高まった。
しかし、その恩恵は外国の製造業者に集中し、製品を輸出していないHirbawiさんには届かない。
ヘブロン旧市街では、商人たちが観光客を相手に、色とりどりのカフィエやパレスチナ旗、アルメニア製陶器などのみやげ品を売りさばいている。Hirbawiさんはタバコの葉を紙で巻きながら、「最近の客、特に外国人は、輸入品を好むようだ。理由は神様だけがご存じだよ。観光客はわたしたち地元の業者の商品を買って、地元産業を支えるべきなのに」とこぼす。
■武装闘争の象徴か、おしゃれか
Hirbawiさんのカフィエは5ドルもしない。米国の衣料品チェーン、アーバンアウトフィッターズ(Urban Outfitters)が2007年1月まで、その4倍の値段でカフィエを「反戦スカーフ」として販売していたことを、Hirbawiさんは知らなかった。同社は結局、親イスラエル派の抗議を受けて、謝罪広告を出して製品を売り場から撤去した。
今年5月には、米テレビで話題の女性シェフ、レイチェル・レイ(Rachel Ray)が、ダンキン・ドーナツ(Dunkin' Donuts)のコマーシャルにカフィエによく似たチェックのスカーフを巻いて出演したところ、右派コラムニストから「ジハード(聖戦)的なおしゃれ」で「暴力の象徴かつ反イスラエル的な意味合いを無視している」とこき下ろされている。
カフィエは、テロリズムやパレスチナ武装闘争の象徴なのか?
問われたHarbawiさんは含み笑いをして、「イタリアの女性たちは、カフィエを首周りに巻いておしゃれを楽しむんだ。彼女たちもテロリストなのかい?」と答えた。(c)AFP/Joseph Krauss
アラファト元議長は白と黒の格子模様のカフィエを巻いていたが、反戦活動家らがカフィエを好んで身につけるようになり、やがてヒップホップの世界でおしゃれなアクセサリーとして広まった。有名なヒップホップ・アーティストらが「何となく反体制的で何となくエキゾチックな全天候型のネックウォーマー」として取り入れるに至って、カフィエは「パレスチナの苦悩の歴史」から切り離されつつある。
■高まる海外需要、しぼむ地元産業
カフィエの世界的な需要増加は、パレスチナ自治区に中国製の輸入品の流入を招いた。輸入カフィエとの競争激化に苦心しているヨルダン川西岸(West Bank)のヘブロン(Hebron)のカフィエ生産者、Yasser al-Hirbawiさん(75)の工場は、ほとんどの織機が止まったままだ。
「中国製カフィエが入ってくる前は、毎日20時間15台の織機をフル回転させていた。今じゃ、稼働しているのはたった4台。それも8時間だけさ」
1961年にHirbawiさんがカフィエ工場を始めたころは、カフィエはパレスチナ人の普段着の一部で、政治的な意味合いはまだなかった。
状況が変わり始めたのは、中国が経済大国として台頭し始めた1990年代だ。世界各地と同様に、ヨルダン川西岸にも中国製の大量生産品がなだれ込んできた。そして2000年にイスラエル治安部隊とパレスチナ住民の衝突から第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)が勃発すると、海外でカフィエ需要が一気に高まった。
しかし、その恩恵は外国の製造業者に集中し、製品を輸出していないHirbawiさんには届かない。
ヘブロン旧市街では、商人たちが観光客を相手に、色とりどりのカフィエやパレスチナ旗、アルメニア製陶器などのみやげ品を売りさばいている。Hirbawiさんはタバコの葉を紙で巻きながら、「最近の客、特に外国人は、輸入品を好むようだ。理由は神様だけがご存じだよ。観光客はわたしたち地元の業者の商品を買って、地元産業を支えるべきなのに」とこぼす。
■武装闘争の象徴か、おしゃれか
Hirbawiさんのカフィエは5ドルもしない。米国の衣料品チェーン、アーバンアウトフィッターズ(Urban Outfitters)が2007年1月まで、その4倍の値段でカフィエを「反戦スカーフ」として販売していたことを、Hirbawiさんは知らなかった。同社は結局、親イスラエル派の抗議を受けて、謝罪広告を出して製品を売り場から撤去した。
今年5月には、米テレビで話題の女性シェフ、レイチェル・レイ(Rachel Ray)が、ダンキン・ドーナツ(Dunkin' Donuts)のコマーシャルにカフィエによく似たチェックのスカーフを巻いて出演したところ、右派コラムニストから「ジハード(聖戦)的なおしゃれ」で「暴力の象徴かつ反イスラエル的な意味合いを無視している」とこき下ろされている。
カフィエは、テロリズムやパレスチナ武装闘争の象徴なのか?
問われたHarbawiさんは含み笑いをして、「イタリアの女性たちは、カフィエを首周りに巻いておしゃれを楽しむんだ。彼女たちもテロリストなのかい?」と答えた。(c)AFP/Joseph Krauss