【6月5日 AFP】ぬぐえぬ放射能汚染の恐怖。日本の消費者の中には、不安を自らの手で取り除こうとする人も現れた。

■「自分で確認」が何より安全

 千葉県柏市の企業ベクレルセンター(Becquerel Center)が運営する放射線測定器レンタル施設「ベクミル(Bekumiru)」では、数千円の利用料で、消費者がスーパーマーケットで購入した食品などを持ち込んで放射線レベルを自ら測定できる。「ベクミル」の名は放射線量を測る単位「ベクレル」と「見る」をかけたものだ。

 柏市では、数度にわたって高い放射線量が観測されたことから放射能に対する市民の関心は高く、ベクレルセンターでも問い合わせの電話が途切れることがないという。

 担当者によると、ベクミルの利用者が持ち込むのは野菜や米、飲料水など多岐に及ぶ。自分で線量を確かめることが最も安心できる手段なのだ。測定に要する時間は約20分。測定器の脇に置かれた説明書には、法的に安全とされるベクレル値が食品ごとに示されている。

 幼稚園の庭で野菜を栽培しているという男性は、子どもに食べさせても大丈夫だと親たちを安心させるためベクミルを利用していると話した。専門家に測定を依頼するのは費用が高すぎ、ベクミルがなければどうしてよいか分からないという。

 米農家の60代の女性は、育てた米の販売許可は得ているが、間違いなく安全だと自分自身で確認したくてベクミルを利用していると語った。

■広がる政府への不信感、独自基準も

 大手スーパーチェーンのイオン(Aeon)は、店頭に並ぶ全商品の放射性物質を「ゼロ」とすべく、独自に検査体制を強化した。政府が定めた基準では消費者の信頼を得られないと考えたからだ。

 イオンの厳しい独自基準に当初、生産者側は反発したが、結局は厳しい検査のみが疑心暗鬼にかられた消費者を納得させる唯一の方法であることに気付いた。

 消費者が疑念を抱くのはもっともだ。

 原発事故後、政府は安全とする放射線レベルの上限を国際基準に沿った1キロ当たり500ベクレルに引き上げた。しかし、これはそれまでなら上限を超えたとして処分されたはずの食品が店頭に並ぶことを意味した。消費者はこの矛盾を見逃さなかった。政府は再び、ほとんどの食品の放射線レベルの上限を事故前の1キロ当たり100ベクレルに戻した。

 一連の措置を受け、国民の間には「政府は消費者よりも生産者を気にかけている」との認識が広まった。

 最近になって、福島から比較的離れた地域で原発事故後よりも高い値の放射線が計測されていることも、こうした疑念を深めている。

 放射性物資は雨や風で遠隔地に運ばれると、東京大学(Tokyo University)先端科学技術研究センターの児玉龍彦(Tatsuhiko Kodama)教授は説明する。政府は汚染地域として広域を立入禁止に指定しているが、局地的に高い線量が計測される「ホットスポット」の特定は難しく、対策として個人が比較的安価なガイガーカウンターを購入しているのが現状だ。

■「まるで伝染病のよう」

 こうした根拠のある不安のほかにも、放射能はより原始的な心配も呼び起こすと科学者らは指摘する。

 進化心理学者らによれば、人類は進化の過程でその時どきの環境に適応できるような行動を選択してきたが、放射能への恐れは、はるか昔の人類が伝染病に接した時と似ているという。致死的な伝染病ウイルスも、当時は目に見えないものだった。

 米カリフォルニア大学サンタバーバラ校(University of California Santa Barbara)のジョン・トビー(John Tooby)氏は、指摘する。「人々は、放射能汚染をまるで伝染病のようにとらえている。感情的に、放射線量よりも被ばくばかりを気にしている。私たち人間は毎日、自然界の放射線にさらされて暮らしているのに、少しでも線量が上がると生死に関わる出来事のように大騒ぎする」

 特に日本の場合は、広島と長崎への原爆投下という歴史的経験が、放射能の威力やその予測不能な影響に対する脅威を増幅させ、国民の間に過剰反応を引き起こしているといえよう。 (c)AFP/Karyn Poupée

放射能―日本に巣食う目に見えない「敵」(上)

・この記事は、AFPのブログ「Geopolitics」内の特集「Living with Fear(恐怖とともに生きる)」に掲載されたシリーズです。