津波を生き延びた原発作業員、再び仲間がいる「戦場」へ
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【4月4日 AFP】東日本大震災で東京電力(Tokyo Electric Power Co.、TEPCO)福島第1原子力発電所が大きな被害を受けてから3週間がすぎたいま、原発作業員のコウノ・ヒロユキ(Hiroyuki Kohno)さん(44)は炉心溶融を防ごうと奮闘している仲間たちのもとに帰ろうとしている。
10代後半から原子力産業で働いてきた放射線管理士のコウノさんは、多くの人が断ったこの仕事が、この業界での最後の仕事になるとはっきりと理解している。
埼玉県加須(Kazo)市でAFPのインタビューに応じたコウノさんは、「正直言って、この仕事に行きたい人なんていませんよ。福島第1の放射線レベルは普通の環境とは比べものにならないほど高い。今回行けば、二度と原発で働けない体になることは分かっています」と語った。
10年ほどまえから福島第1原発で働いてきたコウノさんは、地震後まもなく被災地を離れた。しかし約2週間後、所属する東電の下請会社から、半ば予期していた電子メールが届いた。そこには、福島第1で働くことはできないか、との内容が書かれていた。
独身で眼鏡をかけ、穏やかな口調で話すコウノさんは、福島第1に戻るのは自分の義務だと感じている。「仕事のローテーションはどんどん厳しくなってきています。そして私の友人たちには戻るべき家族がいますし」
長男でもあるコウノさんはこの話を両親に伝えるとき、危険性をなるべく小さく思わせようとした。しかし長年にわたり電気技術者として福島第1原発で働いた経験がある父親は危険性を十分に理解している。それでも父親は、自分が考えた通りにしろ、と言った。母親はもっとシンプルに、できるだけ早く帰ってきてね、とだけ言った。
■再び「荒海の岩礁」のようだった原発へ
コウノさんは、自分の身を待ち受ける厳しい環境は想像しかできないが、マグニチュード(M)9.0の地震に見舞われた日のことははっきりと思い出せる。タービン建屋にいたとき、突然、近くの机が震えだした。だれかがいたずらをしたのかと思ったが、数日前に小さな地震があったことを思い出し、余震だと思った。
しかし、周囲の設備がきしみながら大きく揺れ始めた。「それまでの人生で聞いたこともない音でした。その瞬間、『この地震はデカい』と思いました」
立っていることができず壁に寄りかかったが、その壁が激しく揺れていた。作業員たちは、通常定められている放射線チェックもせず建屋の出口に殺到し、近くの小高い場所に逃げた。
「『津波が来るぞ!』という叫び声が聞こえ、海から白い波がこちらに向かってくるのが見えました。本当に怖かった」
小高い場所に上がったコウノさんは津波が10メートルの高さを示すポールを超え、原発を飲み込むのを目の当たりにした。福島第1原発の6基は荒れ狂う海の不毛の岩礁のようだった。
「うちの家族は全員無事でしたが、家族を亡くした知り合いもたくさんいます」
日本全体が戦後最悪の災害からの復旧に取り組むなか、福島第1原発では作業員たちが昼夜を分かたず危機を封じ込めるために闘っている。
3月11日の津波で冷却システムを失った福島第1原発は、数回の爆発と火災を起こし、放射性物質を放出して大気と土壌、そして海を汚染し続けている。作業員たちは、放射性物質で汚染された大量の水やがれきを除去しつつ、放射線レベルを計測し、冷却システムを稼働させようと電源ケーブルの接続に取り組んでいる。
コウノさんは、自分は福島第1原発の免震重要棟に行くことになるだろうと語った。1時間で普通の環境で1年間に浴びるのと同じだけの放射線を浴びる場所だ。世界中のメディアが「フクシマ・フィフティ(Fukushima Fifty)」と称賛したチームに加わることになるが、ヒロイズムが理由ではないと言う。
■『同じ釜の飯を食った』、だから行く
「日本語には『同じ釜の飯を食う』という言葉があります。つらいことも楽しいことも分け合った仲間という意味です。それが私が行く理由です」
コウノさんが所属する会社の約50人の作業員のうち、いま現場にいるのは約10人。大半は行くのを断ったのだろうとコウノさんは言う。「そのことを思うと、私も色々と考えます。また福島第1に行くと伝えた後の4日間はとても不安でした。特に夜には」
すでに少なくとも19人の作業員が高いレベルの放射線を浴びて負傷している状況では、先行きの危険を完全に頭から追い出すのは難しい。友人たちからは、常に透過性が高いガンマ線に脅かされる中での、劣悪な作業環境の話も聞こえてくる。
「彼らは口には出して言いませんが、本音では全員が早く誰かに代わって欲しいんです」
数日間休みなく働いて2~3日の休むというシフトで、同僚たちと同じように、缶詰とエネルギーバーの食事を食べることになるだろう。
「お互いに話すんです。第2次世界大戦で徹底的に打ち負かされた日本は、今また灰燼(かいじん)に帰した。戦場は違うけれど、俺たちは現在の神風特攻隊なんだ、と」
しかし第2次大戦当時とは違う点もある。米国はもはや倒すべき敵ではなく大切な友人だ。そして特攻隊員と違って、コウノさんは死にに行くつもりはない。それでも今回の任務には畏怖を覚えざるを得ない。
「今回の敵は当時とは違います。でもおそらく今回の方がずっと恐ろしい」とコウノさんは語った。(c)AFP/Kimiko de Freytas-Tamura
10代後半から原子力産業で働いてきた放射線管理士のコウノさんは、多くの人が断ったこの仕事が、この業界での最後の仕事になるとはっきりと理解している。
埼玉県加須(Kazo)市でAFPのインタビューに応じたコウノさんは、「正直言って、この仕事に行きたい人なんていませんよ。福島第1の放射線レベルは普通の環境とは比べものにならないほど高い。今回行けば、二度と原発で働けない体になることは分かっています」と語った。
10年ほどまえから福島第1原発で働いてきたコウノさんは、地震後まもなく被災地を離れた。しかし約2週間後、所属する東電の下請会社から、半ば予期していた電子メールが届いた。そこには、福島第1で働くことはできないか、との内容が書かれていた。
独身で眼鏡をかけ、穏やかな口調で話すコウノさんは、福島第1に戻るのは自分の義務だと感じている。「仕事のローテーションはどんどん厳しくなってきています。そして私の友人たちには戻るべき家族がいますし」
長男でもあるコウノさんはこの話を両親に伝えるとき、危険性をなるべく小さく思わせようとした。しかし長年にわたり電気技術者として福島第1原発で働いた経験がある父親は危険性を十分に理解している。それでも父親は、自分が考えた通りにしろ、と言った。母親はもっとシンプルに、できるだけ早く帰ってきてね、とだけ言った。
■再び「荒海の岩礁」のようだった原発へ
コウノさんは、自分の身を待ち受ける厳しい環境は想像しかできないが、マグニチュード(M)9.0の地震に見舞われた日のことははっきりと思い出せる。タービン建屋にいたとき、突然、近くの机が震えだした。だれかがいたずらをしたのかと思ったが、数日前に小さな地震があったことを思い出し、余震だと思った。
しかし、周囲の設備がきしみながら大きく揺れ始めた。「それまでの人生で聞いたこともない音でした。その瞬間、『この地震はデカい』と思いました」
立っていることができず壁に寄りかかったが、その壁が激しく揺れていた。作業員たちは、通常定められている放射線チェックもせず建屋の出口に殺到し、近くの小高い場所に逃げた。
「『津波が来るぞ!』という叫び声が聞こえ、海から白い波がこちらに向かってくるのが見えました。本当に怖かった」
小高い場所に上がったコウノさんは津波が10メートルの高さを示すポールを超え、原発を飲み込むのを目の当たりにした。福島第1原発の6基は荒れ狂う海の不毛の岩礁のようだった。
「うちの家族は全員無事でしたが、家族を亡くした知り合いもたくさんいます」
日本全体が戦後最悪の災害からの復旧に取り組むなか、福島第1原発では作業員たちが昼夜を分かたず危機を封じ込めるために闘っている。
3月11日の津波で冷却システムを失った福島第1原発は、数回の爆発と火災を起こし、放射性物質を放出して大気と土壌、そして海を汚染し続けている。作業員たちは、放射性物質で汚染された大量の水やがれきを除去しつつ、放射線レベルを計測し、冷却システムを稼働させようと電源ケーブルの接続に取り組んでいる。
コウノさんは、自分は福島第1原発の免震重要棟に行くことになるだろうと語った。1時間で普通の環境で1年間に浴びるのと同じだけの放射線を浴びる場所だ。世界中のメディアが「フクシマ・フィフティ(Fukushima Fifty)」と称賛したチームに加わることになるが、ヒロイズムが理由ではないと言う。
■『同じ釜の飯を食った』、だから行く
「日本語には『同じ釜の飯を食う』という言葉があります。つらいことも楽しいことも分け合った仲間という意味です。それが私が行く理由です」
コウノさんが所属する会社の約50人の作業員のうち、いま現場にいるのは約10人。大半は行くのを断ったのだろうとコウノさんは言う。「そのことを思うと、私も色々と考えます。また福島第1に行くと伝えた後の4日間はとても不安でした。特に夜には」
すでに少なくとも19人の作業員が高いレベルの放射線を浴びて負傷している状況では、先行きの危険を完全に頭から追い出すのは難しい。友人たちからは、常に透過性が高いガンマ線に脅かされる中での、劣悪な作業環境の話も聞こえてくる。
「彼らは口には出して言いませんが、本音では全員が早く誰かに代わって欲しいんです」
数日間休みなく働いて2~3日の休むというシフトで、同僚たちと同じように、缶詰とエネルギーバーの食事を食べることになるだろう。
「お互いに話すんです。第2次世界大戦で徹底的に打ち負かされた日本は、今また灰燼(かいじん)に帰した。戦場は違うけれど、俺たちは現在の神風特攻隊なんだ、と」
しかし第2次大戦当時とは違う点もある。米国はもはや倒すべき敵ではなく大切な友人だ。そして特攻隊員と違って、コウノさんは死にに行くつもりはない。それでも今回の任務には畏怖を覚えざるを得ない。
「今回の敵は当時とは違います。でもおそらく今回の方がずっと恐ろしい」とコウノさんは語った。(c)AFP/Kimiko de Freytas-Tamura