【3月22日 AFP】2004年、スマトラ沖大地震によるインド洋大津波がインドネシア・アチェ(Aceh)州を襲った時、ザルル・フアデイ(Zahrul Fuadi)さん(39)はバイクに乗り、波の壁から逃れた。その後、仙台へ渡ったフアデイさんは再び大震災に遭遇した。1900年以降記録に残る5 大地震のうち、2つの巨大震災を生き延びたのだ。

「歴史的に非常に大きな二つの天災を生き延びた。そういう人は多くはいないだろう。とても感謝している」――フアデイさんは17日、AFPの取材に語った。

 7年前、工学博士課程の学生だったフアデイさんを襲ったマグニチュード(M)9.1の大震災による巨大津波は、母国インドネシアの16万8000人の命を奪った。インドネシアは、この津波で犠牲となった22万人の実に4分の3を占める最大の被災国となった。

■一家4人、1台のバイクで逃れたインド洋大津波

 バンダアチェ(Banda Aceh)のシンパン・メスラ(Simpang Mesra)村にあった家は倒壊した。地震発生時は、妻と2人の子どもと家にいたが、1台のバイクに皆で乗って逃げた。「あまりに怖かったので家からずっと遠くまで離れました」

 同国シャクアラ大学(Syah Kuala University)教員のフアデイさんは、博士課程を修了するために奨学金を受けて翌年、仙台の東北大学(Tohoku University)へ移った。日本に暮らして6年になる。

 今回M9.0の地震発生時は、3階建ての大学の校舎でセミナーに出席していた。2年前に建ったばかりの鉄骨の建物だったが、それでも崩れるのではないかと怯えた。「M10.0とかだったらどうしよう?と思った。けれど建物に大きなダメージはなかった」。家族が住んでいる3階建ての大学寮も無事だったと言う。「ガラスも割れてなかったし、食器が多少壊れたり、本が散らかったくらいだった」

■津波への恐怖に「世界の終わり」を覚悟

 もっと怖かったのは津波だった。「アチェの津波から逃げてきたのに、世界の終りだと思いました」。フアデイさん一家は、今度は津波には遭わなかった。大学のキャンパスから沿岸までは20キロ離れていた。

 フアダイさんは15日、インドネシアの故郷アチェへ戻った。「完成させなければいけない研究があるから、仙台には戻るつもり。けれど今は放射能が怖いです」(c)AFP