【3月15日 AFP】南アフリカ・ヨハネスブルク(Johannesburg)のソウェト(Soweto)地区で12日、アパルトヘイト(人種隔離政策)時代の1988年に失踪した若者2人とされる遺体の発掘が行われた。2人の失踪には、反アパルトヘイト運動の指導者ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領の当時の妻、ウィニー・マンデラ(Winnie Madikizela-Mandela)さんの関与が疑われている。

 掘り起こされたのは、アフリカ民族会議(African National CongressANC)の軍事部門の工作員で、1988年に失踪したコルレット・ロロ・ソノ(Corlett "Lolo" Sono)さん(当時21)とシボニソ・アンソニー・シャバララ(Siboniso Anthony Shabalala)さん(当時19)とされる2人の遺骨。遺体は1988年11月に刺殺体で発見されたが、身元不明の貧困者として埋葬されていた。

「1988年に失踪した活動家2人の遺体が埋葬されたと思われる2つの墓の発掘作業が行われた」と、南アフリカ国家検察局(National Prosecuting AuthorityNPA)のフィンディ・ロウ(Phindi Louw)報道官は説明した。「研究所で検視と遺伝子検査を行い、遺骨がこの2人のものかどうかを確認する」

 今回の発掘は、検察当局内に設置されているアパルトヘイト時代の行方不明者捜索部門による捜査を受けて行われた。

■ウィニー・マンデラ前夫人に関与の疑い

 2人の失踪に関連し、1994年のアパルトヘイト撤廃後に設置された真実和解委員会(Truth and Reconciliation Commission)ではネルソン・マンデラ氏の前夫人、ウィニーさんの名前が挙がっている。

 ソノさんの父親のニコデムスさんは、自分の息子を最後に目撃したのはウィニー夫人の一団と一緒にいるところだったと同委員会に証言している。

 ニコデムスさんによると、ソノさんは激しく殴打されていた。ウィニー夫人は、ソノさんにはスパイ容疑が掛けられており、連行するつもりだと語ったという。「ウィニーさんに1時間以上、息子を連れて行かないでくれと懇願したが、聞き入れてもらえなかった」とニコデムスさんは証言した。

 同委の最終報告書は、ウィニー夫人の自宅で最後に目撃された2人の「失踪について(夫人は)責任を認めなければならない」と結論づけている。

 一方、ウィニー夫人側は殺害への関与を全面否定している。

 1980年代、ウィニー夫人の身辺にはマンデラ・ユナイテッド・フットボールクラブ(Mandela United Football Club)と呼ばれた凶暴な親衛隊がいた。88年に起きた別の若者活動家の死をめぐり、91年にはウィニー夫人自身も誘拐と襲撃の罪で有罪判決を受けたが、実刑から罰金刑に減刑されている。(c)AFP/Justine GERARDY