ロドニー・キングさん死亡、ロス暴動きっかけの暴行事件被害者
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【6月18日 AFP】米史上最悪の規模の都市暴動となった1992年のロサンゼルス(Los Angeles)暴動のきっかけとなった白人警官による黒人青年暴行事件の被害者、ロドニー・キング(Rodney King)さん(47)が17日、カリフォルニア(California)州の自宅のプールで死亡しているのが見つかった。
警察発表によると、婚約者のシンシア・ケリー(Cynthia Kelley)さんから17日午前5時25分(現地時間)ごろ通報があった。カリフォルニア州リアルト(Rialto)の自宅に駆けつけた警察官がプールの底に沈んでいたキングさんを引き上げたが反応はなく、蘇生措置を試みたものの午前6時11分、搬送先の病院で死亡が確認された。初動捜査によれば事件性は見られず、当局は溺死として捜査を進めているという。48時間以内に検視が行われる予定。
ロス暴動発生の発端となった暴行事件では、ロサンゼルス市警の白人警官がキングさんを集団暴行する様子が映像にとらえられ、キングさんは米国における人種間の緊張と警察暴力の象徴となった。
■暴動の沈静化呼びかけ、警官らは「もう許した」
1991年、キングさんは高スピードのカーチェースの末、4人の白人警官に木製の警棒で50回以上殴打され、スタンガンを当てられた。警官らは過剰な暴力を振るったとして起訴されたが92年4月29日に無罪となり、これをきっかけにロサンゼルスでは数日間に及ぶ暴動が発生。50人以上が死亡し、およそ10億ドルに上る損害を出した。
群衆が店舗を襲って略奪をはたらき、建物に放火し、市民同士の暴行事件が相次ぐ中、キングさんは暴動3日目に会見。弁護士の準備していた原稿から逸脱して自分の言葉でこう語った。「皆さん、私が言いたいのはこれだけだ。みんなでうまくやっていけないか? うまくやっていこうじゃないか」
暴動から20年を迎えた今年、キングさんは当時の回顧録「"The Riot Within: My Journey From Rebellion to Redemption」を出版。米CNNのインタビューで、米国における人種差別はまだ解決すべき問題だと指摘した。「常にある種の人種差別は存在するだろう。だが、われわれがこれまでにたどってきた道とその到達点を、国民1人1人が振り返ることはできる」
また、暴行した警察官については「もう許した。米国は私の行いの多くを許し、何度もチャンスをくれたのだから」「もう一度チャンスを与えられるべきなんだ。私には2度目のチャンスが与えられたんだ」などと語っていた。キングさんは暴行事件以降も、幾度か法的トラブルを起こしている。
「警察には大きな敬意を抱いている。その一部はこの長い年月の中で努力し、私につぐなった。全員が悪人じゃないんだ」
■法的トラブルの多かった人生
かつてCNNテレビのインタビューで、キングさんは殴打事件当時の状況を説明している。キングさんはその日、1991年に窃盗罪で有罪となり仮釈放中だったにもかかわらず、友人の家から自宅まで飲酒運転をしていた。そこで警察車両を見かけたために、刑務所に戻されると思いパニックになったのだという。
車で逃走した後、警察官に追いつかれると悟ったキングさんは共同住宅のそばに車を停めた。「たくさんのアパートがあったから、『あそこに停まるぞ。やられても、誰かが目撃してくれるはずだ』と自分に言い聞かせた」のだという。キングさんによると、警察官たちは「ニガー、おまえを殺してやる」と怒鳴りながら殴ってきた。警察当局は後日、こうした人種差別発言があったことを否定している。
キングさんはこの事件後も、何度か警察に関わっている。2005年には当時のキングさんの恋人ともめた自分の娘とその母親に対し、殺すと脅したとして逮捕された。03年には恋人の女性を殴打したとして警察の職務質問を受けた。また、住宅に車を衝突させて危険運転で有罪になったこともある。07年には顔や背中、上半身を銃で撃たれて負傷し、病院に搬送されていた。(c)AFP/Michael Thurston
警察発表によると、婚約者のシンシア・ケリー(Cynthia Kelley)さんから17日午前5時25分(現地時間)ごろ通報があった。カリフォルニア州リアルト(Rialto)の自宅に駆けつけた警察官がプールの底に沈んでいたキングさんを引き上げたが反応はなく、蘇生措置を試みたものの午前6時11分、搬送先の病院で死亡が確認された。初動捜査によれば事件性は見られず、当局は溺死として捜査を進めているという。48時間以内に検視が行われる予定。
ロス暴動発生の発端となった暴行事件では、ロサンゼルス市警の白人警官がキングさんを集団暴行する様子が映像にとらえられ、キングさんは米国における人種間の緊張と警察暴力の象徴となった。
■暴動の沈静化呼びかけ、警官らは「もう許した」
1991年、キングさんは高スピードのカーチェースの末、4人の白人警官に木製の警棒で50回以上殴打され、スタンガンを当てられた。警官らは過剰な暴力を振るったとして起訴されたが92年4月29日に無罪となり、これをきっかけにロサンゼルスでは数日間に及ぶ暴動が発生。50人以上が死亡し、およそ10億ドルに上る損害を出した。
群衆が店舗を襲って略奪をはたらき、建物に放火し、市民同士の暴行事件が相次ぐ中、キングさんは暴動3日目に会見。弁護士の準備していた原稿から逸脱して自分の言葉でこう語った。「皆さん、私が言いたいのはこれだけだ。みんなでうまくやっていけないか? うまくやっていこうじゃないか」
暴動から20年を迎えた今年、キングさんは当時の回顧録「"The Riot Within: My Journey From Rebellion to Redemption」を出版。米CNNのインタビューで、米国における人種差別はまだ解決すべき問題だと指摘した。「常にある種の人種差別は存在するだろう。だが、われわれがこれまでにたどってきた道とその到達点を、国民1人1人が振り返ることはできる」
また、暴行した警察官については「もう許した。米国は私の行いの多くを許し、何度もチャンスをくれたのだから」「もう一度チャンスを与えられるべきなんだ。私には2度目のチャンスが与えられたんだ」などと語っていた。キングさんは暴行事件以降も、幾度か法的トラブルを起こしている。
「警察には大きな敬意を抱いている。その一部はこの長い年月の中で努力し、私につぐなった。全員が悪人じゃないんだ」
■法的トラブルの多かった人生
かつてCNNテレビのインタビューで、キングさんは殴打事件当時の状況を説明している。キングさんはその日、1991年に窃盗罪で有罪となり仮釈放中だったにもかかわらず、友人の家から自宅まで飲酒運転をしていた。そこで警察車両を見かけたために、刑務所に戻されると思いパニックになったのだという。
車で逃走した後、警察官に追いつかれると悟ったキングさんは共同住宅のそばに車を停めた。「たくさんのアパートがあったから、『あそこに停まるぞ。やられても、誰かが目撃してくれるはずだ』と自分に言い聞かせた」のだという。キングさんによると、警察官たちは「ニガー、おまえを殺してやる」と怒鳴りながら殴ってきた。警察当局は後日、こうした人種差別発言があったことを否定している。
キングさんはこの事件後も、何度か警察に関わっている。2005年には当時のキングさんの恋人ともめた自分の娘とその母親に対し、殺すと脅したとして逮捕された。03年には恋人の女性を殴打したとして警察の職務質問を受けた。また、住宅に車を衝突させて危険運転で有罪になったこともある。07年には顔や背中、上半身を銃で撃たれて負傷し、病院に搬送されていた。(c)AFP/Michael Thurston