【11月8日 AFP】仏パリ(Paris)の裁判所で7日、数々の国際テロ事件を首謀したベネズエラ人、イリイッチ・ラミレス・サンチェス(Carlos Ilich Ramirez)被告(通称:カルロス・ザ・ジャッカル、62)の裁判が行われた。

 7日の裁判は、サンチェス被告が関与した事件のなかで、1980年代のフランスで計11人が死亡した4つのテロ事件に関するものだ。

 被告は、裁判官に対し自身の身分は「職業革命家だ」と述べ、冷戦下における東欧軍事同盟「ワルシャワ条約(Warsaw Pact)機構」の情報機関と通じてテロ攻撃を繰り返した過去については包み隠さず明らかにした。だが、今回の裁判に関する訴因については否認した。

 サンチェス被告の裁判は6週間続き、12月16日に結審する予定。その間、被告は厳重な警備が敷かれたパリのラ・サンテ(La Sante)拘置所に収容される。

■OPEC会合急襲で名をはせる

 1949年生まれのサンチェス被告は、1975年にウィーン(Vienna)で開かれていた石油輸出国機構(Organization of the Petroleum Exporting CountriesOPEC)の会合を急襲し、11人を人質にとった事件で注目を浴びた。

 1980年代には、仲間2人の解放を求め、フランスで4つのテロ事件を起こした。1982年3月、パリ・トゥールーズ(Toulouse)間を結ぶ急行列車を狙った爆弾テロでは、5人が死亡、28人が負傷した。反シリア政府系新聞「アルワタン(Al-Watan)」と「アルアラビ(Al-Arabi)」を狙った1982年4月の車爆弾テロでは通行人1人が死亡、60人が負傷。1983年の大晦日にも、高速鉄道TGVとマルセイユ(Marseille)駅を狙った爆弾テロ2件を起こし、計5人が死亡、13人が負傷した。

 サンチェス被告が解放を要求した仲間の1人は、パリのクウェート大使館に対するテロ未遂で逮捕された女で、後に2人は結婚している。

 この後、サンチェス被告はシリアに逃亡。1991年までは同国に潜伏していたが、湾岸戦争(Gulf War)でシリアが米国側についたため、スーダンに逃れ、約20年間の逃亡生活を同国で送っていた。だが、1994年にハルツーム(Khartoum)でフランスの秘密情報員に身柄を拘束され、フランスに移送され、1997年に1975年に市民ら3人を殺害した罪で終身刑判決を受けた。

 裁判で被告弁護側は、スーダンからフランスに移送されたことについて、違法な拉致行為だと主張している。

■「2000人を殺害」と豪語

 6日のベネズエラ紙ナシオナル(El Nacional)に掲載されたインタビューで、サンチェス被告はこれまでに100件以上の攻撃に関わったと語っている。民間人の犠牲について尋ねられると、「すごく少ない。10%にも満たないんじゃないか。(これまでに)1500人から2000人殺害したから、民間人の犠牲者は200人にも満たないだろう」と述べた。

 だが、サンチェス被告の伝記の著者、バーナード・バイオレット(Bernard Violet)氏は、1500人もの殺害は「非現実的」だと述べ、裁判に臨むうえでメディアの関心を集めたい被告が自身の犯罪を誇張したのだろうとの見解を示した。(c)AFP/Dorothee Moisan