ナチスの元看守、移送先はヒトラーもいた刑務所
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【5月14日 AFP】米国からドイツに強制移送された第2次世界大戦中のナチス(Nazi)強制収容所の元看守、ジョン・デムヤンユク(John Demjanjuk)容疑者(89)が12日、ミュンヘン(Munich)到着後に移送された刑務所は、ナチスの独裁者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)が、1922年に1か月間だけ収容されたことのあるシュターデルハイム(Stadelheim)刑務所だった。
当時ヒトラーはドイツ国内のある街のビアホールで治安を乱したとして3月の禁固刑を言い渡されたが、実際に服役したのは1か月のみで、1922年7月には無罪放免となった。
2年後にヒトラーは、失敗に終わったクーデター事件であるミュンヘン一揆(ビアホール一揆、Beer Hall Putsch)で果たした役割により、再びバイエルン(Bayern)州ランツベルク(Landsberg)のバイエルン刑務所に送られた。自伝であり政治宣言でもある『わが闘争(Mein Kampf)』の執筆を開始したのは、この刑務所だった。
シュターデルハイム刑務所は1892年から1901年にかけて建設され、ナチスはひとたび権力を掌握すると、この刑務所を最大限活用し、第2次世界大戦終盤には1日30人のペースで処刑を行うなど、ここで1000人以上が処刑された。ナチスに対する抵抗グループ「白バラ(White Rose)」の創始者たちであるハンス・ショル(Hans Scholl)とゾフィー・ショル(Sophie Scholl)の兄妹、白バラのメンバーのクリストフ・プロープスト(Christoph Probst)らもこの刑務所で、1943年2月に処刑された。
ヒトラーのかつての盟友エルンスト・レーム(Ernst Roehm)も1934年、「総統(Fuehrer)」の命を受けたナチス親衛隊(SS)によって、シュターデルハイムの独房で殺された。(c)AFP
当時ヒトラーはドイツ国内のある街のビアホールで治安を乱したとして3月の禁固刑を言い渡されたが、実際に服役したのは1か月のみで、1922年7月には無罪放免となった。
2年後にヒトラーは、失敗に終わったクーデター事件であるミュンヘン一揆(ビアホール一揆、Beer Hall Putsch)で果たした役割により、再びバイエルン(Bayern)州ランツベルク(Landsberg)のバイエルン刑務所に送られた。自伝であり政治宣言でもある『わが闘争(Mein Kampf)』の執筆を開始したのは、この刑務所だった。
シュターデルハイム刑務所は1892年から1901年にかけて建設され、ナチスはひとたび権力を掌握すると、この刑務所を最大限活用し、第2次世界大戦終盤には1日30人のペースで処刑を行うなど、ここで1000人以上が処刑された。ナチスに対する抵抗グループ「白バラ(White Rose)」の創始者たちであるハンス・ショル(Hans Scholl)とゾフィー・ショル(Sophie Scholl)の兄妹、白バラのメンバーのクリストフ・プロープスト(Christoph Probst)らもこの刑務所で、1943年2月に処刑された。
ヒトラーのかつての盟友エルンスト・レーム(Ernst Roehm)も1934年、「総統(Fuehrer)」の命を受けたナチス親衛隊(SS)によって、シュターデルハイムの独房で殺された。(c)AFP