ボスニア紛争の悲劇「スレブレニツァの虐殺」の戦犯たち
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【7月22日 AFP】旧ユーゴスラビア連邦下のボスニアで1995年、イスラム教徒の成人男性や少年約8000人が殺害された「スレブレニツァ(Srebrenica)の虐殺」から13年。
しかし、国連(UN)の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia、ICTY)で判決が確定したのは、全被告19人中、わずか6人だけだ。
21日に国際戦犯法廷が起訴していたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992-95年)当時のセルビア人勢力指導者、ラドバン・カラジッチ(Radovan Karadzic) 被告の身柄が拘束されたことで、虐殺事件に関与した逃亡中の被告は1人のみとなった。
以下に、「スレブレニツァの虐殺」の概要および被告らの状況をまとめた。
■ 背景
1995年7月11日、イスラム系住民が多数を占めるボスニアの町、スレブレニツァをセルビア人武装勢力が急襲。イスラム教徒の成人男性や少年約8000人を連れ去り殺害し、遺体を集団墓地に埋めた。
当時、スレブレニツァは国連保護下にあり、国連保護隊(UNPROFOR)のオランダ兵士が駐留していたが、軽装備だったため、セルビア人の急襲を阻止できなかった。
「スレブレニツァの虐殺」は、第二次世界大戦後の欧州における最悪の残虐行為とされ、国際司法裁判所(International Court of Justice)は「ジェノサイド(民族大量虐殺)」と認定した。
■ 「虐殺事件」の容疑者・被告たち
ラドバン・カラジッチ被告(逮捕)
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のイスラム系住民およびクロアチア人に対する虐殺や民族浄化を指揮した「ジェノサイド」の罪で、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に起訴された。しかし、逃亡を続け同法廷から最重要指名手配されていたが、21日にセルビア治安部隊に身柄を確保された。
ラトコ・ ムラジッチ(Ratko Mladic)被告(逃亡中)
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のセルビア軍最高司令官で、カラジッチ被告と同罪で旧ユーゴ国際戦犯法廷に起訴されたが、逃亡中。セルビア内に潜伏しているとの情報もある。
スロボダン・ ミロシェビッチ(Slobodan Milosevic)旧ユーゴスラビア連邦元大統領(公判中に死亡)
「スレブレニツァの虐殺」を含む1990年代のボスニア、クロアチア、コソボにおける残虐行為への関与により、戦争犯罪および人道に対する罪で起訴されるが、2006年3月に急死。
Radislav Krstic元セルビア軍将軍
2004年4月に虐殺幇助の罪で35年の禁固刑が確定。控訴審でジェノサイド罪が確定した。
Vidoje Blagojevic元セルビア軍大佐
戦争犯罪と人道に対する罪で2007年3月に禁固15年の判決を言い渡されたが、ジェノサイドについては無罪となった。
Dragan Jokic元セルビア軍大佐
戦争犯罪と人道に対する罪で9年の禁固刑。
Dragan Obrenovic元セルビア軍将校
2003年12月に虐殺への関与で17年の禁固刑。
Momir Nikolic元セルビア軍将校
2003年12月に虐殺への関与で27年の禁固刑。後に20年に減刑。
Drazen Erdemovic元セルビア軍兵士
1998年に禁固5年の判決。2000年にノルウェーで刑期を終え、出所した。
■ 公判中
虐殺を計画、執行したとされる元セルビア軍将校5人が、ジェノサイドの罪で起訴され公判継続中。また、スレブレニツァへの人道援助を阻止したとして、戦争犯罪および人道に対する罪で起訴された元セルビア軍将官2人の公判が継続中。
■ 公判待ち
虐殺でイスラム系男性らを処刑場へ移送および射殺し、ジェノサイド、戦争犯罪および人道に対する罪に問われているMilorad Trbic元セルビア陸軍大尉の公判について、国際戦犯法廷は前年4月、ボスニアの裁判所で審理することで合意した。Momcilo Perisic旧ユーゴスラビア陸軍大将は、セルビア軍への物資供給援助が虐殺につながったとして、公判待ち。Zdravko Tolimir元セルビア軍兵は、2007年5月にボスニアで身柄を確保され、現在、国際戦犯法廷に拘置されている。スレブレニツァでの大量虐殺で兵士らを指揮したとして、ジェノサイド、戦争犯罪および人道に対する罪に問われ、公判待ち。(c)AFP
しかし、国連(UN)の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia、ICTY)で判決が確定したのは、全被告19人中、わずか6人だけだ。
21日に国際戦犯法廷が起訴していたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992-95年)当時のセルビア人勢力指導者、ラドバン・カラジッチ(Radovan Karadzic) 被告の身柄が拘束されたことで、虐殺事件に関与した逃亡中の被告は1人のみとなった。
以下に、「スレブレニツァの虐殺」の概要および被告らの状況をまとめた。
■ 背景
1995年7月11日、イスラム系住民が多数を占めるボスニアの町、スレブレニツァをセルビア人武装勢力が急襲。イスラム教徒の成人男性や少年約8000人を連れ去り殺害し、遺体を集団墓地に埋めた。
当時、スレブレニツァは国連保護下にあり、国連保護隊(UNPROFOR)のオランダ兵士が駐留していたが、軽装備だったため、セルビア人の急襲を阻止できなかった。
「スレブレニツァの虐殺」は、第二次世界大戦後の欧州における最悪の残虐行為とされ、国際司法裁判所(International Court of Justice)は「ジェノサイド(民族大量虐殺)」と認定した。
■ 「虐殺事件」の容疑者・被告たち
ラドバン・カラジッチ被告(逮捕)
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のイスラム系住民およびクロアチア人に対する虐殺や民族浄化を指揮した「ジェノサイド」の罪で、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に起訴された。しかし、逃亡を続け同法廷から最重要指名手配されていたが、21日にセルビア治安部隊に身柄を確保された。
ラトコ・ ムラジッチ(Ratko Mladic)被告(逃亡中)
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のセルビア軍最高司令官で、カラジッチ被告と同罪で旧ユーゴ国際戦犯法廷に起訴されたが、逃亡中。セルビア内に潜伏しているとの情報もある。
スロボダン・ ミロシェビッチ(Slobodan Milosevic)旧ユーゴスラビア連邦元大統領(公判中に死亡)
「スレブレニツァの虐殺」を含む1990年代のボスニア、クロアチア、コソボにおける残虐行為への関与により、戦争犯罪および人道に対する罪で起訴されるが、2006年3月に急死。
Radislav Krstic元セルビア軍将軍
2004年4月に虐殺幇助の罪で35年の禁固刑が確定。控訴審でジェノサイド罪が確定した。
Vidoje Blagojevic元セルビア軍大佐
戦争犯罪と人道に対する罪で2007年3月に禁固15年の判決を言い渡されたが、ジェノサイドについては無罪となった。
Dragan Jokic元セルビア軍大佐
戦争犯罪と人道に対する罪で9年の禁固刑。
Dragan Obrenovic元セルビア軍将校
2003年12月に虐殺への関与で17年の禁固刑。
Momir Nikolic元セルビア軍将校
2003年12月に虐殺への関与で27年の禁固刑。後に20年に減刑。
Drazen Erdemovic元セルビア軍兵士
1998年に禁固5年の判決。2000年にノルウェーで刑期を終え、出所した。
■ 公判中
虐殺を計画、執行したとされる元セルビア軍将校5人が、ジェノサイドの罪で起訴され公判継続中。また、スレブレニツァへの人道援助を阻止したとして、戦争犯罪および人道に対する罪で起訴された元セルビア軍将官2人の公判が継続中。
■ 公判待ち
虐殺でイスラム系男性らを処刑場へ移送および射殺し、ジェノサイド、戦争犯罪および人道に対する罪に問われているMilorad Trbic元セルビア陸軍大尉の公判について、国際戦犯法廷は前年4月、ボスニアの裁判所で審理することで合意した。Momcilo Perisic旧ユーゴスラビア陸軍大将は、セルビア軍への物資供給援助が虐殺につながったとして、公判待ち。Zdravko Tolimir元セルビア軍兵は、2007年5月にボスニアで身柄を確保され、現在、国際戦犯法廷に拘置されている。スレブレニツァでの大量虐殺で兵士らを指揮したとして、ジェノサイド、戦争犯罪および人道に対する罪に問われ、公判待ち。(c)AFP