【6月18日 AFP】赤道ギニアで17日、2004年のクーデター未遂事件を首謀したとされる英国人の雇い兵サイモン・マン(Simon Mann)被告(55)に対する公判が開かれ、検察側は同被告に対し禁固30年ならびに1億5200万ユーロ(約250億円)の罰金刑を求刑した。

 クーデター計画は同国のテオドロ・オビアン・ヌゲマ・ムバソゴ(Teodoro Obiang Nguema)大統領の転覆を図ったもので、検察側は同被告を首謀者と断定した。ジンバブエ当局からの身柄引き渡しにおいて「死刑を免除すること」との条件が付けられていたため、死刑は適用されなかった。

 検察側は、マン被告は雇い兵部隊の隊長、南アフリカ人のニック・デュ・トイト(Nick du Toit)を採用し、さらにはクーデター計画の資金調達のためにマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)英元首相の息子マーク・サッチャー(Mark Thatcher)とも接触していたと主張した。

 さらに、マン被告は、クーデターに関する1500万ドル(約16億円)相当の契約書をヌゲマ大統領の政敵、セベロ・モトヌサ(Severo Moto Nsa)との間で交わしていたと主張した。モトヌサは現在、武器密輸容疑でスペイン国内に収監されている。

 デュ・トイトは、赤道ギニアで34年の禁固刑に服役中だ。マーク・サッチャーについては、クーデターの準備資金を援助して計画に加担したとして、赤道ギニア当局が国際逮捕状を発行している。

 マン被告は、赤道ギニアの首都マラボ(Malabo)の刑務所で行われた英チャンネル4(Channel 4)テレビとのインタビューで、クーデター計画への関与は認めたが、首謀者であることは否定。スペイン政府、南アフリカ政府、またロンドン(London)在住のビジネスマン、イーライ・カリル(Ely Calil)が裏で糸を引いていたと主張した。

 マン被告は2004年に、赤道ギニアに向かう前に立ち寄ったジンバブエのハラレ(Harare)国際空港でほかの61人の雇い兵とともに逮捕された。ジンバブエ当局は、マン被告らが同国で武器を入手し、のちにデュ・トイトらと合流してクーデター計画を実行に移す予定だったとしている。

 被告の身柄は今年に入って、ジンバブエから赤道ギニアへ秘密裏に移送されていた。

■マン被告の生い立ち

 マン被告は、ビール会社で財をなした父のもとに生まれた。名門イートン校(Eton)、名門サンドハースト王立陸軍士官学校(Sandhurst Military Acadamy)を卒業したあと、特殊空挺部隊(SAS)に入隊。

 1990年代に紛争地帯を専門とする民間軍事会社「エクゼクティブ・アウトカムズ(Executive Outcomes)」を設立。内戦中のアンゴラにおける石油採掘施設の警備で、数百万ドルを稼いだとされる。

 やがて、別の民間軍事会社「サンドライン・インターナショナル(Sandline International)」を設立。シエラレオネ内戦において武器などの兵站支援を行ったとみられている。(c)AFP