【6月3日 AFP】かつて旧東ドイツの秘密警察シュタージ(Stasi)は、ジョージ・オーウェル(George Orwell)の1949年の小説『1984年(Nineteen Eighty-Four)』で市民の全行動を監視する独裁者「ビッグ・ブラザー(Big Brother)」を彷彿とさせたものだった。

 東西が統一を遂げ民主国家・技術大国ドイツが実現したいま、自由を重んじる国民の間に「ビッグ・ブラザー」再来の懸念が生まれつつある。

 前週、通信大手ドイツテレコム(Deutsche Telekom)が、機密情報の漏えいを阻止するため、自社幹部と報道関係者の通話内容の盗聴を外部企業に依頼していたことが発覚。これについて、各界への影響力を持つドイツ産業連盟(Federal Association of German IndustriesBDI)元会長は、「秘密警察シュタージと同じやり方だ」と述べ「言語道断の恥ずべき行為」とドイツテレコムを糾弾した。

 一方、レネ・オーバーマン(Rene Obermann)社長は、ドイツ捜査当局による本社家宅捜索をうけ、同社の固定・携帯電話の顧客数百万の個人情報は「安全である」と訴えた。

■通話記録保管法は安全か?

 オーウェルの『1984年』は、謎の為政者「ビッグ・ブラザー」の下ですべての市民の思想・行動が監視される架空の全体主義国家を描いた小説だが、これを念頭におく市民団体からは不安の声があがっている。

 ドイツでは1月から、対テロ・犯罪対策の一環として、通信事業業者にすべてのEメール履歴、固定・携帯電話の通話記録、インターネット閲覧記録の保管が義務づけられた。

 ただし、これらは通話の盗聴・録音やEメールの無断チェックを認めるものではない。記録が義務づけられているのは、電話やEメールの送受信者記録、ウェブサイトの閲覧記録などで、これらを警察の捜査依頼に応じて提供できるよう、6か月間、保管するとしている。

 これまでのところ、ドイツ国内ではイスラム過激派によるテロ事件は発生していない。だが、警察では、これはテロ計画が未遂に終わったためとみており、識者の間でも対テロ対策としては通話記録の保管はやむを得ないとの見方が大勢だ。

 一方で、法の悪用や乱用により、監視対象が生活の隅々にまで拡大し、ドイツが過剰な監視社会に成りかねないとの懸念も大きい。また、テロリストは攻撃計画をEメールで交換することはなく、盗聴を回避すべく高度な手段を用いているはずだと反論する声もある。

 ドイツ国内の30都市に支部を持つ市民抗議団体グループ「Arbeitskreis Vorratsdatenspeicherung」のパトリック・ブレイヤー(Patrick Breyer)氏は、「こうした規制は全市民に影響を与えるうえ、為政者に強力な政治権力を与えかねない」と懸念を示す。

■誤情報で家宅捜索される一般市民

 国内のジャーナリストの間では、ドイツテレコムの盗聴事件が発覚する以前から、人々が取材依頼を敬遠する傾向が高まり、取材が難しくなっているとの声も聞かれる。

 数年前には、北部ハンブルク(Hamburg)近郊の街で火災が発生した際、現場周辺の住民宛てに警察から事故時の所在を尋ねる文書や携帯メールなどが送付されたことがあった。住民の多くは、個人情報が安易に警察に流れたことに対する不安を表明。なかには容疑者扱いされたと感じ、「弁護士を呼ぶ」と憤る住民もいたほどだ。

 保管情報の誤用・乱用による懸念も大きい。

 ある大学教授の場合は、突然、警察に自宅に踏み込まれ、家中を捜索され、コンピューターを没収された。児童ポルノ容疑者の自宅と間違われたのだ。インターネット事業者が容疑者と大学教授のIPアドレスを間違えて警察に提供したためだった。

 また、ターゲスツァイトゥング(Tageszeitung)紙の報道によると、2007年にハイリゲンダム(Heiligendamm)で開催された主要国(G8)首脳会議のデモ活動経験のある男性が、総合サービス企業、Dussmannの社屋への放火疑いで警察の家宅捜査を受けた。この男性がDussmannのウェブサイトを閲覧していたとの記録に基づいた捜査だったが、男性が閲覧していたのは、放火事件とは無関係のベルリン(Berlin)市内の大型書店Dussmannのウェブサイトだったことが、後に判明している。(c)AFP