【5月1日 AFP】フランスのLydia Gouardo(45)さんは、塩酸をかけられやけどを負わされるなど、28年間にわたって義父から虐待と性的暴行を受け続け、さらには、義父の子どもを6人も産まされていたにも関わらず、世界はそのことを無視していたと、痛ましい体験談をラジオで語った。

 オーストリアで、73歳の男が娘を24年間にわたって監禁し7人の子どもを産ませていたという恐ろしい事件が明るみになったが、フランスでも奇妙なほど似た事件が、4月に控訴裁で審理されていた。

 パリ東部のCrecy-la-Chapelleに暮らしていたGouardoさんは、8歳から36歳までの間、血のつながっていない義父に繰り返し虐待と性的暴行を受け、義父の子どもを6人も産んでいた。だが、28年間にわたって、地域住民は警鐘を鳴らすことがなかった。

 事件は、義父が1999年に死亡した後に、初めて明るみになった。

 虐待が始まったのは、義理の母がGouardoさんを熱湯の風呂に押し込めてやけどを負わせ、学校を退学せざるを得なくなったときからだった。

 Gouardoさんは、フランスのラジオ局、ラジオ・テレビ・ルクセンブルク(RTL)のインタビューに対し、「朝と夕方、そして夜に性的暴行を受けた」と語った。義母は性的暴行のことを知っていたどころか、夫をけしかけていたという。

 最初の虐待から数年後、Gouardoさんが家から逃亡を試みた時以来、義父は罰として足や腕、腹部に塩酸をかけるようになった。

 だが、オーストリアのヨーゼフ・フリッツル(Josef Fritzl)容疑者の事件と同様、若いGouardoさんが何度も妊娠したり、けがで病院に運び込まれていたにも関わらず、近隣住民や教師、地元の福祉課らは警鐘を鳴らすことがなかった。

 19歳で初めて妊娠したときは、中絶を試みないように義父がGouardoさんを数か月にわたって縛り付けていたという。また、出産の際はいつも、「出産の直前になって」義父に病院に連れて行かれたという。

   「ある日、助産師が父親は誰なのかと尋ねたところ、義父が『わたしだ』と述べた。誰も何も言わなかった」(Gouardoさん)

 フランスの控訴裁は4月、Gouardoさんの義母に対し、2007年3月の一審判決よりさらに重い執行猶予付きの禁固4年の判決を下した。

 現在、Gouardoさんは、9人の子どものうちの7人と一緒に、パリ(Paris)東部のCoulommesにある農場の廃屋に暮らしている。

 体の傷あとを隠すために長袖の服を着たGouardoさんは、ほとんど文字の読み書きができず、就労もしていないが、生き延びたことを幸せに感じると述べた。

   「自分の身に起こったことを考えると、生き延びれたことを不思議に思う。毎日、玄関のドアを開けるたびに、わたしは深呼吸する。わたしはその日暮らしをしているが、生きていることが大好きだ。不平不満を言う人がいると、人生は美しいよ、とわたしは言ってあげる」とGouardoさんはRTLに述べた。

   「わたしは今、人生に立ち向かっている。わたしは請求書が届くことがうれしい。わたしはここにいる、存在している、と感じるから」(Gouardoさん)。(c)AFP