【7月18日 AFP】真の五輪精神は、代理人とスポンサーのバックアップを受けた金メダリストではなく、最下位選手にこそ宿る。

 2000年のシドニー(Sydney)五輪でほかの選手のフライングにより1人で男子100メートル自由形予選に出場し、1分52秒72という200メートル自由形よりもさらに遅いタイムで史上最下位の記録を作った赤道ギニアのエリック・ムサンバニ(Eric Moussambani)選手。

 頭を水面に上げた奇妙な泳法で観衆の笑いを誘ったムサンバニ選手だが、競技終了後には大きな喝采を浴びた。水泳を始めたのは五輪のわずか8か月前で、それまで50メートルプールを見たこともなかったムサンバニ選手は、まともな練習施設もない国のアスリートたちを鼓舞する意味で設けられた主催者推薦枠(ワイルドカード)でシドニー五輪に参加した。

 そして、同じく50メートル女子自由形に出場し、1分03秒97というやはり史上最下位の記録を作った同国のPaula Barila Bolopa選手。

 Bolopa選手は、五輪史上最低の記録しか出せないと知りながら、それでも勇敢に最後まで泳ぎきった。その結果、競技後は割れんばかりの拍手と、報道陣の取材攻撃を受けたのである。

 1996年のアトランタ(Atlanta)五輪、男子マラソンで最下位となったアフガニスタンのAbdul Baser Wasiqi選手。Wasiqi選手の場合は、ムサンバニ選手とは少し事情が違う。Wasiqi選手は2時間30分前後というタイムをもつ、五輪でも十分に戦える能力を持ったランナーだった。ところがけがのため、五輪の夢はついえてしまった……かに見えた。

 最終的にWasiqi選手は、けがを押して五輪への参加を決断。そして、4時間24分17秒、111選手中111位、110位の選手から遅れること90分という結果を残した。ゴールに入ったとき、会場ではすでに片付けが終了し、閉会式の準備が始まっていたという。

「最下位」という一見不名誉な記録を残した五輪選手たち。だが彼らは、近代五輪の父、ピエール・ド・クーベルタン(Pierre de Coubertin)男爵のあの有名な言葉「五輪で重要なことは、勝つことではなく、参加することである」をまさに体現したと言えるだろう。

 ムサンバニ、Balopa、Wasiqi選手のいずれも、自分が表彰台に近づけるとは思っていなかった。だがクーベルタン男爵が今も存命だったら、間違いなく彼らの手を固く握りしめ、五輪の英雄としてたたえたはずだ。

 五輪の掲げるモットーはラテン語で「Citius, Altius, Fortius(より速く、より高く、より強く)」。だが北京五輪では彼らのような多くの真の英雄のため、「より遅く、より低く、より弱く」も掲げておこう。(c)AFP/Mark Oakley